番外編●新井駅 ~DMF15HS-Gの咆哮~
1991年12月
2008年初稿・2020年 4月 1日更新

 播但線の客車列車は、昭和50年代前半に旧型客車から50系に置き換えられた後、 客車列車全廃を控えた晩年には、その一部が12系1000番台に置き替えられた。
 12系1000番台とは、1964年から量産された12系急行型客車を、 ローカル客車列車のサービス改善を目的として、近郊輸送用に改造した車両である。

播但線の12系1000番台による客車列車
 DE10が4両の12系1000番台を牽引する、姫路発寺前行き641レが夕暮れの姫路平野を北進する。 (1992年2月)

 本系列の主要な変更点は、通勤輸送にも対応させた内装であり、 車端部の4ボックスずつをロングシートに置き換えて吊革を設置し、デッキ周辺の乗客流動に配慮したものである。 また、緩急車のトイレと洗面所は廃止して、設備需給の適正化とメンテナンスコスト削減を図っている。
 一方、外観は停車駅における車掌の負担軽減を図るべく、緩急車の乗務員室に業務用出入口を新設したほか、 腰板部分に巻かれていた白帯が消されて青20号一色に簡素化されている。 また、前述の便・洗面所廃止に伴い、緩急車の水槽は撤去されている。
 このように、サービス設備の変更はなされたものの、システム上は基本番台車と同じだったので、 山陰本線では客車列車の廃止まで1000番台と基本番台車が共通運用となっていて、 日常的に両者の混結が行われていた。

播但線の12系1000番台による客車列車
 12系1000番台は、車内のセミクロスシート化のみならず、 白帯が消されて青20号単色となった車体も特徴的。(1991年7月)

 12系客車といえば長距離乗車に配慮した、ゆったりとしたシートと空気ばね式台車の良好な乗り心地が特徴だった。
 例えば、1982年ダイヤ改正以前の上野発の定期夜行急行の場合、 座席車はその殆どがスハ43系客車で編成されていた。 本系列も当初から優等列車用に開発された車両ではあったが、 1ボックスに4人着席するとかなり窮屈で、姿勢を固定せざるを得ず随分疲れたものだった。
 一方、12系客車では車両を拡幅・延長することで、座席幅・シートピッチそれぞれを概ね10センチ拡大したほか、 座面高さや背もたれの角度の改良も行われた。 更に、座席の改良に加えて冷房も完備されたことから、座席車による夜間移動の快適性は格段に向上したのだった。

鶴居駅で交換する下り50系客車列車と上りのキハ58系普通列車
 50系客車4両の639レとキハ58系3両の680Dが鶴居駅で交換する。
 エンジンの騒音という点では、 キハ28の4VK発電セットも、夏季のみの稼動とは言え猛烈な騒音だった。(1992年2月)

 このように、旅客サービスの向上に貢献した12系客車だったが、 スハフ12に装備された発電エンジンの轟音は厄介者だった。
 静粛が売りの客車列車にもかかわらず、スハフ12に乗車すると否応なしに騒音が聞こえるし、 エンジン上の座席では微妙に振動も伝わってくる。
 12系客車は汎用性を高めるために、冷暖房電源を客車側で賄う設計となっている。 これによって牽引機関車の制約は緩くなったものの、在来型客車の冷房改造車とは異なり、 年間を通して発電セットが稼動することとなった。
 平成一桁の当時は未だ、繁忙期を中心に12系が充当される臨時急行や快速が多く設定されていた。 これらの指定席券を購入する際には、静粛な客車旅情を味わいたくて、少なくとも編成の両端は外したものだった。

末恒駅で交換するキハ40系とDD51が牽引する12系による普通列車
 DD51が12系客車を牽引する鳥取行き普通列車と、交換するキハ40系。
 この頃よりJR西日本では、 高出力のコマツ製エンジンへの換装が始まっていた。(1996年10月/山陰本線末恒駅)

 スハフ12の発電機関は、DMF15HS-Gという型式の水平6気筒ディーゼルエンジンであり、 このグループのエンジンは12系以外にも、分散電源方式の14系客車やキハ181系の発電用としても広く採用された。
 更に、1970年代に入るとキハ66系やキハ40系の走行エンジンとして採用されるに至り、 国鉄末期には全国の非電化線区でこの轟音が響いていたことは記憶に新しい。
 しかしながら、DMF15系型エンジンがキハ40系に採用されたことは、 このエンジンが抱える大重量・低出力という欠点を噴出させることともなった。
 国鉄の民営化後は、車齢が若く頑丈なキハ40系では、 新機軸の民生用エンジンの応用によって、パワーアップと運行コスト低減が図られるようになった。 また、発電用エンジンの分野では、客車列車自体の淘汰や気動車特急の削減による自然減という経過を辿る事となり、 現在ではオリジナルのDMF15型エンジンを搭載した車両を見ることも、 このエンジンの轟音を聞くことも、極めて稀になってしまった。

夜の新井駅に到着した12系1000番台による姫路発和田山行き655レ
 新井駅に到着した12系1000番台による姫路発和田山行き655レ。
 1000番台は初期グループが種車となったため、スハフ12のJRマーク貼付け位置は変則的だった。

 国鉄時代はキハ28やキロ28の発電用として搭載された4VK型と共に、 猛烈な騒音を振りまいていたDMF15系エンジンだが、 キハ40系の機関換装について考える限り、 更に設計が古いキハ20系などのDMH17Hの淘汰を待たずにその多くが役割を終えたことになる。
 JR西日本におけるキハ40系の機関換装は1990年代半ばから始まり、 客車列車の相次ぐ廃止に伴う12系客車の淘汰に引き続いて、気動車からも「国鉄型」エンジンは消えていった。
 現役時代はあれほどまでに敬遠された轟音も、聞く機会が無くなれば急に懐かしくなってしまう。 なんとも我侭な話しではあるが、本編の動画ではその喧騒に懐かしさを感じて頂ければと思う。

DMF15と同系列のDML30型機関を搭載したキハ181系による特急くにびき。
 山陰本線を西進するキハ181系による特急くにびき。
 キハ40系と同系列で12気筒のDML30型機関を搭載するが、 防音対策が充分で車内は静粛だった。(1996年9月)

 紹介する映像は、播但線の客車列車全廃を目前に控えた1991年の冬に、 和田山へ下る12系1000番台・4両で組成された655レを、 分水嶺の生野の次の駅、新井(にい)で撮影したものだ。
 播但線では当時、早朝夜間の和田山乗り入れ列車の多くが、 4~7連の50系、或いは12系1000番台による客車で運行されていたが、 その重厚な編成とは裏腹に寺前以北に旅客需要は多くは無かった。
 この日も、新井駅に到着した655レの乗客は、もう既にほんの僅かだった。 構内にDMF15型エンジンの轟音をひとしきり響かせると、列車は足早に発車して行った。
 遠ざかるDD51の過給タービン音もやがて消えて、新井駅に再び静寂が戻るのだった。

●おことわり
(1)  本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。
(2)  本稿の動画はご覧のウィンドウサイズに応じて最大1280×720ピクセルまで拡大、あるいは全画面表示ができます。
 但し、元動画はアナログテレビジョン程度の解像度で撮影されたものですので、ぼやけた画像となることをご理解下さい。

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