番外 第2話●播但線・冬
1991年 2月〜1992年 2月
2007年初稿・2020年 3月21日更新

 兵庫県の姫路を基点とする播但線も、山陰西部と同じ1992年3月のダイヤ改正で客車列車が消滅した路線だ。
 姫路は兵庫県西播地域の中核都市であり、陰陽連絡路線の播但線のみならず、 中国山地を縦断する姫新線の起点でもある。
 また山陽本線においては、アーバンネットワークと呼ばれる京阪神地域の都市間高速輸送網と、 ここから岡山方面へ続く地域輸送網との接点でもある鉄道運行の要衝である。

新野〜寺前間を往くDE10牽引の50系客車による普通列車
 50系客車7両の姫路発寺前行き625レを牽引するDE10。
 機関車から勢い良く蒸気が排気されているのは、 客車への供給を予め切って、寺前駅での機廻しに配慮したものと推測される。(1991年12月)
 そのような地理的条件もあってか、当地には多数の機関車を擁するインフラが整っていたのだろう。 姫新線と播但線では民営化後も客車列車が残存していた。
 特に播但線は、前述した陰陽連絡線としての重要性にのみならず、 福崎周辺に至る平野部が姫路の都市圏を形成していたこと。 更には、沿線に高校が比較的多かったことも加わって、同時双方向に輸送需要が多いという特徴があった。
 このような背景から、姫路平野の域内となる姫路〜寺前間を中心に、 最大8両にも及ぶ長編成の客車列車が頻繁運転されて、旅客輸送の中核を担っていた。

播但線を往くキハ181系による特急はまかぜ2号
 鳥取からの特急はまかぜ2号が姫路へ向けてスパートをかける。
 当時は未だ、ローカルの快速サービスを担う急行但馬が残存していたので、 播但線内はノンストップだった。(1991年2月)
 一方、播但線の陰陽連絡線としての需要に対しては、 大阪から香住・浜坂・鳥取を結ぶキハ181系による特急「はまかぜ」が3往復あり、 また山陽本線への乗り入れは既に無くなっていたものの、 キハ58系による急行「但馬」も姫路と豊岡を結ぶ2往復が設定されていた。
 この映像を撮影した1991年の冬は、まだ智頭急行線は未開通だったものの、 特急はまかぜの鳥取乗り入れ便は既に1往復になっていた。
 それでも、何れの列車も姫路〜豊岡間の利用はそれなりに多くて、 播但線が播磨地域と但馬地域との行き来を支える基幹路線であったことは間違いない。

生野〜長谷間を往くDD51と50系客車6両からなる638レ
 日中に和田山〜姫路間を直通する、唯一の客車列車である638レ。 列車は分水嶺の生野を越えると市川沿いの谷間を下って長谷を目指す。
 この日は和田山回転となる631レと638レが、何れも機関車の次位にマヤ34を従えていた。(1992年2月)
 播但線における客車列車の運行形態は、姫路〜和田山間を全線通しで走る列車と、 姫路〜寺前及び姫路〜福崎間の区間列車に分けられる。
 全線直通の列車は、日中の1往復を除いては朝晩の運転が中心だった。 また、区間列車のうち福崎回転の便は、朝夕のラッシュ時のみ。寺前回転の便は全日を通して頻繁運転されていた。
 牽引する機関車は、基本的には福知山運転所のDD51が使用されていたが、 ほぼ全区間が姫路平野に位置する寺前までの区間列車には、 前述のDD51に加えて姫路機関区のDE10も使用されていた。
 使用される客車の両数は、最小の列車が4両編成である一方、DE10が牽引する列車は最長7両、 DD51牽引の場合はやはり区間運転される列車で8両だった。

福崎付近を行くDD51
 DE10が12系1000番台4両を牽引する姫路発寺前行きの区間列車641レ(溝口〜福崎間/1992年2月)
 播但線を走る客車は、 姫路鉄道部(本ヒメ)の50系と12系1000番台だった。
 50系の場合は4・6・7・8両と多彩だったが、12系1000番台では電源供給の制約があるためか、 スハフ12を組み込んだ4両、或いはそれに無動力の付属2両を加えた6両編成の2種類だった。
 列車編成の多彩さが物語るように、晩年になっても播但線における客車列車の頻繁運転は驚くものがあった。
 同じ姫路を起点とする姫新線も、姫路平野を北西に進むという、播但線に似た沿線立地であったにも関わらず、 同線の客車列車はこの当時既に朝晩の輸送力列車2往復だけだった。
 これとは対照的に、数字のみ3桁の列車番号が賑やかに並んだ播但線のダイヤは壮観であり、 鉄道趣味誌には既に客車列車の多くが整理されてしまった山陰本線に代わって、 「客車王国」の名で呼ばれることすらあった。

生野〜長谷間を走る急行但馬2号
 生野〜長谷間を走る急行但馬2号。
 3両の気動車は、氷柱が下がるトンネルを飛び出すと、積雪を巻き上げて鉄橋を渡っていった。(1992年2月)
 播但線は、近郊列車の折り返し駅である寺前を過ぎて暫くすると、 山々は急速に近くなり、市川の川べりの深い谷間を縫うように高度を稼ぎながら北上して生野に至る。
 生野からは再び山を駆け下りて、円山川沿いの穏やかな平地を走るが、 沿線人口は姫路近郊に比べれば圧倒的に少ない。
 寺前より北へ向かう列車は、これに呼応するかのように輸送力を減じてゆき、 日中はもっぱらキハ40系の2連や、急行但馬の間合い運用のキハ58系の3連によってまかなわれていた。
 特に日中の客車列車は、朝に姫路を出て午後に戻ってくる、 50系客車6両による631〜638レの1往復のみの設定だったが、 この運行形態は旧型客車で運行されていた昔から、そういうダイヤだったと記憶している。

50系客車から立ち上る蒸気(長谷駅)
 長谷駅に到着した50系客車4両の和田山行き647レ。
 ここでは特急はまかぜ6号との交換のために暫し脚を休める。 漏れ出る暖房蒸気がホームを柔らかく包み込む。(1991年12月)
 一方、夕方になると、姫路近郊の帰宅輸送と翌朝の上り列車の送り込みを兼ねた、 和田山直通の客車列車が再び息を吹き返す。
 生野で分水嶺を越えるこの区間では、客車列車の牽引機関車はDD51の専従である。 日が暮れると寺前以北でも、6両や7両の客車を従えた重厚な編成が力強く走る姿を何度も見ることができた。
 今夜も冬の山間の小駅に客車列車が到着した。
 峠越えを控えた列車の、そこここから立ち上る暖房蒸気は、ほっと息をつくかのように美しく柔らかで、 ひとときの間、寒さを忘れることができた。

●おことわり
(1)  本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。
(2)  本稿の動画はご覧のウィンドウサイズに応じて最大1280×720ピクセルまで拡大、あるいは全画面表示ができます。
 但し、元動画はアナログテレビジョン程度の解像度で撮影されたものですので、ぼやけた画像となることをご理解下さい。


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