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番外編●キハ23 広島色 |
1991年11月~1992年 3月 |
2007年初稿・2020年 3月16日更新 |
山陰本線西部の益田~下関間は、キハ23がまとまって使用されていた地域でもある。
単行の気動車列車はキハ23で、2両の場合はキハ47あるいはキハ48、あるいはキハ58系同士、
そして3両の場合は背中合わせのキハ47にキハ23をつなぐという組み合わせがよく見かける編成だった。
また、単行運転が出来る気動車としては、新しいキハ40があり、
長門市駅や益田駅に留置されている姿は見るものの、当時はどちらかというと山口線や美祢線での運用がメインであり、
山陰本線内では見かけることは殆ど無かったと記憶している。
当時、この長門地域の山陰本線の普通列車は、
気動車列車が単行から5両編成まで、50系客車列車が3両から6両編成までと、多彩な組み合わせが存在していた。
これらが、島根・山口の県境域、西長門地区、下関近郊や関門地区といった地域ごとの、
或いは朝夕の通勤通学輸送や日中閑散時といった時間帯ごとの輸送ニーズにきめ細かく対応していた。
ただ、国鉄民営化から間もない平成一桁の当時にあっては、
このような閑散地域でも鉄道による移動需要はそのれなりにあった。
そのため、日中のキハ23単行による下関乗り入れ列車の存在といった例にのみならず、
長門市~益田間の県境輸送にあっても、撮影するファインダー越しに見える車内は結構混雑していて、
ややサービス不足の感は否めなかった。
この地域の気動車はみな小郡区(広コリ)に所属していて、
民営化後はいわゆる「広島色」と呼ばれる独自塗装がなされていた。
普通列車用の車両は、黄色とアイボリーの塗り分け境界にダークグレーの帯を配し、
更に車体裾と雨樋にライトグレーのアクセントを加えた明快なデザインだった。
「広島色」故に、東の福塩線から西の山陰線下関地区に至る、広島支社全域で見られていたものの、
山口県内では特に、主要地方道のガードレールの橙色とも相まって、
温暖で穏やかな気候を象徴するかの様によくマッチしていた。
キハ23は、運転台窓のパノラミックウィンドウと両開き2扉を採用した、
近郊型気動車の先駆け的な存在である。
ただ、それほどの高運転台ではないため微妙にオデコが広く、裾を絞らない車体断面から、
後年に登場したキハ40に比べると、面長で武骨な独特のデザインである。
車内も乗降扉周辺にロングシートを配した近郊型の標準的レイアウトではあるもの、
1400ミリしかない狭いシートピッチと貧弱なシートは、
同年代に製造された115系電車の0番台や300番台などと同様で、長距離乗車には不向きなものだった。
また、設計時に活躍が想定された都市近郊路線は早々に電化が進展して、
運用地域が輸送需要の少ない線区に移転したことや、
冷房用動力源の確保が困難という技術的問題もあって、大半の車両は晩年まで非冷房だった。
このように、近年にあっては経年による陳腐化とサービス面の貧弱さが目立つキハ23ではあったが、
両運転台であったことが幸いして積極的にワンマン化改装されて活路を見出すことになる。
同系列で片運転台のキハ45が早々に姿を消すなか、
美祢線へのキハ120進出後もこの地域の主力車両として活躍した。
(1) | 本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。 |
(2) |
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