第14話●萩駅 〜午後の列車交換〜
1991年 3月
2009年初稿・2020年 1月28日更新

 萩市は山口県の日本海岸に面し、幕末期には多くの偉人を輩出したことや、 歴史的な名所旧跡が多く残る事に由来する観光都市と言えよう。

50系客車の車内から見た東萩駅のホームと駅横の商業施設
 益田発長門市ゆき535レの車内から見た、東萩駅の上りホームと駅横の商業施設。
 後方の駅舎は近代的になったが、石積みのホームは低い汽車用のままだった。
 市街地は阿武川の三角州に発展したが、当地を通る山陰本線は何故かこの市街地には乗り入れず、 三角州の外周を大きく迂回する形で敷設されている。
 萩市の旧市街部には、東萩駅、玉江駅、そして萩駅がある。これら3駅のうち、 中心市街に最も近いのが東萩駅だ。
 東萩駅は以前に駅前の再開発がなされて近隣に商業施設のビルもあるなど規模が大きく、 当時は特急「いそかぜ」急行「さんべ」「ながと」も停車し、長門市方面からの区間列車も設定されていた。
 また玉江駅も、町外れにある1面1線の棒線駅なのだが、旧市街への西側からのアクセスが良いため利用客は多く、 前述の急行はこの駅にも停車していた。

東萩駅で停車中の益田発長門市ゆき535レの50系客車。
 東萩駅で停車中の益田発長門市ゆき535レの50系客車。
 反対列車との交換は無いが、9時53分の発車まで15分ほど時間調整する。
 駅は僅かにカーブしていて、出発信号機の中継信号機がホーム上に設置されている。
 残る萩駅は、山口市に至る幹線道路である国道262号線が傍らを通るものの、 阿武川三角州の起点付近となる萩市街南端に位置することから、 利用者は前述の2駅に比べると少なく、最もローカルな存在と言える。
 構内は交換可能な2面2線の相対式ホームで構成された、中間駅としてオーソドックスである一方、 駅舎は一般的な国鉄駅とはかなり趣が異なっていて、 日本の近代化とこの街の関わりや、開業当時の鉄道への期待の大きさを垣間見ることが出来る。
 即ち、駅本屋はこの地域に良く見られる、屋根に破風をあしらった切妻平入りの構成だが、 当駅では両端上部を寄棟とする「半切妻」造にして、3つの優美な破風を配しているのみならず、車寄せも建物相応に大きい。 更に、建物外観は着色した柱を露出させて、白壁を配した木骨造となっていて、 地方都市の駅としては極めて立派な造りなのだ。

50系客車の車内から見た萩駅の上りホームと駅舎
 535レの車窓から見た萩駅の上りホームと駅舎。
 明るく着色された柱に白壁の本屋は洒落た意匠だが、 木材素地のまま格子組みとした荷物上屋とおぼしき部分は後年の増築だろうか。
 当駅の駅舎は、1996年に登録有形文化財に登録され、駅周辺の整備も進んだようだが、 私が訪れたのはそれ以前のことであり、当時は「妙に立派な無人駅」というイメージだった。
 撮影に訪れたのは1991年3月のダイヤ改正直前だった。 このダイヤ改正では山陰西部の客車列車は大半が整理されてしまい、 当たり前に見られた客車列車同士の交換も激減することから、 交換がなくなる駅の一つとしてここ萩駅を撮影場所に選んだ。
 撮影したのは、上りが3両編成の下関発益田行き828レ、 下りは遥々浜田からやってきた下関行き827レの4両編成だ。


萩〜玉江間を走る50系客車の車内風景
 萩〜玉江間を走る、益田発長門市ゆき535レの車内風景。
 朝ラッシュも終えたこの時間帯に、萩から遠ざかる旅客は殆ど無い。
 午後3時半を過ぎた頃、両列車はほぼ同時に萩駅に進入する。 列車が近づいてもホームが旅客で賑わうことは無く、 機関車の甲高いブレーキ音と50系客車の軽薄なジョイント音は徐々に止んで列車が停止する。
 停車した列車から聞こえてくるのは、50系客車特有の、自動ドアの淡白な開閉音と、 DD51のほのかなアイドリングだけだった。
 結局、どちらの列車もこの駅では数人の旅客を乗降させただけで、 車掌氏は安全確認して手笛を吹き、戸閉め操作して車側灯の消灯を確認する。
 携帯した無線機で運転士と交信すると、間もなくDD51は客車引き出しの衝撃も無く、 過給器のタービン音を残して萩駅から遠ざかっていった。

玉江〜三見間の海岸線を行く下り客車列車
 海岸線が近い、玉江〜三見間を行く浜田発下関ゆき827レ。
 列車は白い砂浜を垣間見ながら松林を抜け、やがて迫ってくる鼻に開いた短い隧道をくぐる。
 山側を走る狭隘な並行道路は、小さな踏切で線路を横断して鼻の先をぐるりと迂回する。
 下りの827レは萩を出発すると、暫くは阿武川から分かれた橋本川を右手に見ながら玉江に至る。
 そして玉江駅を過ぎると、線路は再び日本海の海岸沿いを走る。
 列車は、あるときは入り江の波打ち際に沿って走り、 あるときは海に突き出た小さな鼻を短いトンネルでショートカットする、 といった山陰本線らしい風景を繰り返しつつ西進する。
 海に近い集落の駅である三見と飯井を過ぎ、一旦内陸に入った後に、再び川沿いに開けた田園地帯の長門三隅に至ると、 次はいよいよ要衝の長門市である。

国鉄時代のまま残る萩駅の駅名標
 萩駅・上りホームの旧駅名標。
 いわゆる国鉄書体なのだが、平仮名はやや滑稽なデザインだった。(1991年3月)

●おことわり
(1)  本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。
(2)  本稿の動画はご覧のウィンドウサイズに応じて最大1280×720ピクセルまで拡大、あるいは全画面表示ができます。
 但し、元動画はアナログテレビジョン程度の解像度で撮影されたものですので、ぼやけた画像となることをご理解下さい。


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