第13話●長門粟野駅
1992年 3月
2008年初稿・2020年 1月12日更新

 山陰本線を西進して黄波戸・長門古市・人丸と過ぎると、一旦見えなくなった海が再び車窓に現れる。 日本海に突き出した向津具半島に囲まれた油谷湾である。
 この油谷湾を右手に見ながら伊上を過ぎて暫くすると、海が更に近くなり小さな入り江のような風景に変わる。 そこが豊北町粟野だ。

長門粟野駅に接近する下り列車から見た車窓風景
 下り列車は間もなく長門粟野駅に到着する。
 右側に並行する国道191号線は市街地を避けて山越えする。 一旦海側に回りこんで距離を稼ぎ、この先で山陰本線をオーバークロスする。(1991年3月)
 入り江のように見えるのは、粟野川の河口を塞ぐ様に小さな島があるためであり、 油谷湾の中で最も穏やかな場所と言えるかも知れない。
 長門粟野駅は、この入り江に開けた小さな港町のはずれに立地する。
 また、この当時は駅近くの粟野港から対岸の向津具半島にある、 久津港・大浦港へ向かう油谷町営渡船が運行されていてた。
 駅前には建物の立派な農協、数軒の商店とタクシーの営業所があるほか、 駅と港のあいだには地元銀行の支店や郵便局、諸々の商店が点在していて、 街は向津具半島へのターミナル機能を担っていたようだ。
 しかし、その後は道路整備が進んで路線バス網が拡充され、同地域から 人丸駅方面へのアクセスが改善したために、町営渡船は1995年に廃止されたそうだ。

長門粟野駅に到着した朝の上り客車列車
 早朝の長門粟野駅に到着した下関発長門市行き820レ。
 田舎の小駅にあっても、どこまでも規則正しく続く照明電柱が、幹線の栄光を物語る。
 長門粟野は、幅の狭い1面2線の島式ホームと、海側に貨物側線跡が残るこじんまりした駅だ。 しかし、構内照明が付いた電柱が何処までも続く長いホームからは、 かつて旧型客車を連ねた長編成が下関や門司を目指した山陰本線の栄光を垣間見ることが出来る。
 旅客は元々、構内踏切でホームへ向かっていたのだろう。 ホームの長門市寄り端面はスロープを廃して平らに嵩上げした痕跡があり、現在は跨線橋が架けられている。

 駅舎も、周辺の駅が一様に、切妻・平入りでポーチ部分に可愛い破風をあしらったデザインが続くのに比して、 長門粟野駅は妻入りとなっているだけでなく、大きさも比較的小ぶりである。
 更に、待合室部分だけ屋根断面が大きくなっていて、事務室の下関側には増築を思わせる無粋な張出し部屋がある。
 これらのことから、開業後に改築や増築があったと思わざるを得ない。
 まったく推測なのだが、実際に改築されたのであれば、 前述した渡船利用の旅客増加で待合室や事務室が手狭になったことが、その発端だったのかも知れない。

長門市駅の側線に留置された客車列車群
 長門市駅の側線に留置された客車列車。
 左側は動画で紹介した820レの編成で、翌朝の益田行き520レとなる。
 一方、向こう側は今朝に益田から下ってきた523レで、当日夕方に825レとなって下関へ戻る。
 紹介する映像は1992年3月の下関ローカルの50系客車列車廃止直前に、 朝の下関発長門市行き820レを長門粟野駅で捉えたものだ。
 この列車は以前は下関と浜田の間を往復していた、下関ローカルとしては長距離を走る列車だったが、 1991年3月改正で益田以東への客車乗り入れが廃止され、更に長門市を境に往復で4本の列車に分割されていた。
 また、この改正以降は長門粟野駅を含む、長門市〜小串間を走る客車列車が朝夕各1往復だけという寂しさになり、 いよいよ1992年3月の客車列車廃止は目前に迫っていた。

夕暮れの長門粟野駅に停車する下りの気動車列車
 夕暮れの長門粟野駅に停車する、キハ47による下関行きの845D。
 ここでは長門市行き824レと交換する。 通学生は反対列車の到着まで、開け放った窓越しに談笑する。非冷房だった頃の日常風景。(1991年9月)
 長門粟野駅は珍しく跨線橋がホームの先端を外れた位置に設置されているので、 ここから列車を見下ろす構図で撮影することにした。
 朝5時台に下関を発った列車が、ここ長門粟野に到着したのは約1時間半後の7時10分だ。
 平日であればこの列車には登校する高校生を中心に多くの乗車客があるのだろうが、 今日は休日であり当駅からの乗車客は僅か三人だった。
 暫くすると、客扱いを終えた車掌からの無線交信があったのだろう。 運転士は出発信号機の進行現示を力強く指差喚呼して、列車を発車させた。
 列車が走り始めると、鋼製の跨線橋はその振動でゆらゆらと揺れる。
 駅を去る50系客車の、ところどころ曇ったガラス越しに見える車内は、やはり閑散としていた。

長門古市駅に停車する下り客車列車
 夜明けの長門古市駅に停車する、50系客車5両の東萩発下関行き821レ。
 枕木が霜に色付き暖房蒸気は低く淀む。早朝の空気は痛いほど冷たい。(1991年3月)
 3月になって、日中は春の気配が近づいたとはいえ、日本海に面して北側に開けた油谷の朝は寒い。
 かじかむ手で握るカメラのファインダーに映った、 列車から立ち上る暖房蒸気の白煙は、何とも暖かそうで羨ましくもあった。
 列車を見送ると早々にカメラを止めて撤収したのだろう。 ビデオ映像は余韻を残すこともなく、早々に途切れていた。

●おことわり
(1)  本稿では、マスターテープ劣化の影響で画像が乱れる箇所があります。予め御了承下さい。
(2)  本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。
(3)  本稿の動画はご覧のウィンドウサイズに応じて最大1280×720ピクセルまで拡大、あるいは全画面表示ができます。
 但し、元動画はアナログテレビジョン程度の解像度で撮影されたものですので、ぼやけた画像となることをご理解下さい。


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