第10話●宇田郷駅 〜宇田郷駅から惣郷川橋梁へ〜
1992年 3月
2008年初稿・2019年12月27日更新

宇賀本郷駅に停車するDD51重連牽引の824列車
 宇賀本郷駅に到着した下関発長門市ゆき824レ。
 この日は重連牽引だったので、当駅での後ろ3両ドアカットの運用に配慮してか、 機関車は普段よりも前寄りに停止した。
 前回の第9話「宇賀本郷駅」で記したサプライズとは、下り825列車と入れ替わりに到着する、 上り824列車がDD51重連で運転されていたことだった。
 これを撮影した後にいろいろ思案を巡らせ、「前側に連結されたDD51 1022は米子方面への回送車であり、 今夜は長門市で滞泊して、明日の朝再びの長門市発益田行きの定期列車に併結される」と推測するに至った。

 山陰西部での客車列車が廃止される3月14日まであと僅かとなったこの時期、 少しでも長時間カメラを回したいという思いから、翌日朝は予定を急遽変更して上り益田行きに乗車することにした。
 その夜に長門市駅で滞泊状況を確認することもなく投宿先へ向かい、 長門市発益田ゆきの520列車を長門大井駅で待ち構えた。

長門大井駅に到着したDD51重連牽引の長門市発益田ゆき520列車
 長門大井駅に到着したDD51重連牽引の長門市発益田ゆき520レ。
 昨夜と同じく1022号機が前側に連結されていた。 前補機のようにも映るが520レは客車は僅か4両で、この先にも難所は無い。
 朝8時ちょうど、越ヶ浜から山越えをしてきた上り列車が長門大井駅に接近する。 ビデオカメラの小さなモノクロファインダーを凝視すると、程なく昨夜の昨日の予想が的中したことが確認できた。
 安堵するのも束の間、駅に進入する列車を撮影したのち、手早く機材を畳んでその列車に飛び乗った。 山陰本線でDD51重連と50系客車の組み合わせは、これが最後だろうと思いつつ。

 このとき、益田〜長門市間に残存する客車列車は、上下とも朝に走る1往復だけという寂しい状況だった。 しかしながら、本線としても輸送量の極端に少ない島根・山口の県境越えのこの区間に4両編成の客車列車が残っていたのは、 冷静に考えると不思議な事実だった。

 列車に乗り込むと車内は結構な混雑で、デッキにも思い思いに高校生たちが集っている。 1メートル幅の自動ドアになり、客室との仕切り板にも妻板にも窓がある50系のデッキは、 旧型客車に比べると明るく快適な場所なのだ。
 ただ、この喧騒も一駅のこと。駅前に高校がある次の奈古に着けば520列車はその日の使命を終える。

520列車の車窓から見た宇田郷駅近くの海岸風景
 520レの車窓から見た宇田郷駅近くの海岸風景。
 宇田郷駅は遠方に見える国道191号線の立体交差の手前に立地する。
 駅の背後には山が迫り、駅前の国道を渡ればすぐに海岸となる。その周辺には鉄道関連の構築物しか無い。
 高校生たちを一気に吐き出し身軽となった列車は、左手に日本海を見ながら軽快に走り、木与を経て宇田郷に至る。
 宇田郷駅周辺は、背後に山が迫り眼前には日本海が打ち寄せる地形であるため、 この規模の国鉄駅には必ずある駅前広場は無く、駅舎を出るとすぐに国道191号線である。 そして、国道を渡ったその先は、波消しブロックに荒波が打ち寄せる日本海の海岸だ。

 このようなロケーションゆえ、駅前には民家も商店も無く、それらが立地する余地すらない。 僅かに益田側の、国道191号線がオーバークロスした先に数軒の家屋があるのみだ。

木与〜宇田郷間をゆく520列車の車窓風景
 宇田郷駅よりも木与寄りにある宇田地区。
 谷筋に沿ってまとまった平地があり、線路の海側には集落と漁港、山側には耕地が広がる。 街の規模は次の木与よりも大きいが、ここに駅は無い。
 一方、駅から西へ600メートルほど進んだ場所にある宇田地区は、 役場の支所が設置されるほどのまとまった集落を形成しており、駅を設置するに相応しい場所と言える。 逆に、東へ1キロ余り離れた場所には惣郷川橋梁で有名な惣郷集落がある。

 それなのにふたつの集落の中間の、まるで不便な場所に駅が設置されたのは、 かつてこの地域が宇田村と惣郷村に分かれていて、 両者の合併によって合成地名・宇田郷が誕生したという歴史的背景が関係しているのかも知れない。

520列車の車窓から望む惣郷川橋梁
 惣郷川橋梁を渡る益田ゆき520レ。
 緩い曲線を描くコンクリート橋を渡ると、機関車は出力を上げて大刈峠に挑む。
 宇田郷を発車した520列車は、再び日本海岸を走り、短いトンネルを2つくぐると突然眼下が波打ち際に変わる。 撮影地として有名な惣郷川橋梁だ。
 山陰本線で最も有名な余部橋梁が、鉄骨造りの繊細で直線的なのに対して、 こちらは緩く曲線を描く線形と鉄筋コンクリート作りの外観から、骨太で柔らかな印象を受ける構築物だ。

 益田ゆき520列車は、砕石敷き軌道の惣郷川橋梁を静かに渡り終えると、次の須佐との間にある大刈峠に挑む。

須佐駅で益田発長門市ゆき563Dと交換する520列車
 520レは宇田郷の次の須佐駅で益田発長門市ゆき563Dと交換する。
 563Dはキハ23単行で運転されるが、地域の規模を反映してか、 学生を中心に通勤者や行商とおぼしき人々の乗降があった。
 520列車は大刈峠を越えると、須佐でキハ23単行の益田発長門市ゆき563Dと交換する。 その後は江崎・飯浦・戸田小浜の順に、やや内陸の耕地の傍や砂浜がある海岸沿いを淡々と走って終着駅の益田に到達する。
 益田に到着した列車は、乗客の降車が終わると直ちに掛員の誘導で側線へ引き上げ、 機関車と4両の50系客車は翌朝まで留置される。

 一方、この日前側に連結されていた回送の1022号機は再び転線して、 3番線に停車中の江津行き貨物列車を牽引する厚狭機関区のDD51と、ひととき肩を並べていた。
 9時40分頃に貨物列車が発車して暫くすると、1022号機も後を追うように単機で益田を後にしたのだった。

益田駅で肩を並べるJR貨物のDD51 856号機とJR西日本の1022号機
 益田駅で肩を並べるJR貨物のDD51 856号機とJR西日本の1022号機。 デッキの塗装仕上げにも担当工場の違いが感じられる。
 856号機は貨物列車を牽引して製紙工場がある江津へ向かうが、 この日はタキの連結は無くて、ワム80000が7両だけだった。

●おことわり
(1)  本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。
(2)  本稿の動画はご覧のウィンドウサイズに応じて最大1280×720ピクセルまで拡大、あるいは全画面表示ができます。
 但し、元動画はアナログテレビジョン程度の解像度で撮影されたものですので、ぼやけた画像となることをご理解下さい。


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