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●黄昏の下北条駅 |
1996年 9月 |
2007年初稿・2019年 6月30日更新 |
山陰本線で客車普通列車が最後まで残存したのは、豊岡~出雲市間だった。
運転系統は、米子~出雲市間の朝だけの1往復、鳥取~米子間の朝夕各1往復、そして豊岡~米子間の1往復だ。
なかでも、豊岡~米子間を走破する521レ・522レは運転時間が5時間あまりと、
客車王国・山陰本線の名にふさわしい存在だった。
これらの列車は民営化に時を同じくして、旧型客車から50系に取り替えられた後、更に12系が加わって運行されていたが、
1992年の夏を迎える頃には12系に統一されていたと記憶している。
ただ、播但線や芸備線とは異なり、近郊型改造された1000番台とオリジナル車が区別されることなく混在して使用されていた。
また、豊岡・鳥取~米子を回転する列車は、土曜日を含む平日が5両、休日は3両編成で運転されていた。
ここに紹介する下北条駅は、倉吉からひとつ西に下ったところにある、島式ホーム1面2線からなる無人の小駅だ。
倉吉~米子間の山陰本線は、伯耆富士と呼ばれる大山の雄大な裾野を走るため、
線路も緩やかな丘陵地帯を、あるときは切り通しで、あるときは築堤で直線的に進んでいく。
下北条から西へ向かう線路もどこまでも真っ直ぐで、線路沿いの平地には水田が、
少し離れた丘陵地にはさまざまな果樹や野菜を栽培する耕地が広がる。
残暑が厳しい初秋の頃、夕方6時前になると、遥か大山の裾野と高い雲の隙間に黄金色のカーテンが引かれ、
その向こうに上り列車のヘッドライトが現れる。
どこまでも真っ直ぐな線路ゆえにゆっくりと接近するそれは、
DD51が牽引する12系客車5両編成の米子発鳥取行き普通列車だ。
黄金のカーテンをすり抜けると、やがて列車は見事なまでの稲穂の絨毯の上をすべるように下北条へ進入していった。
上りの鳥取行きは、ここで下り普通列車と交換する。
「下北条、場内(信号機)注意(現示)!」
窓が大きく開け放たれた運転台には、頼もしい鉄道員の姿があった。
鳥取~米子間は現在のような高速化がなされる前から、列車は頻繁運転されていた。
だから、客車列車が来る前に先行する気動車を構図の確認用に撮影したものだ。
民営化で気動車の地域色が溢れるなかで、米子支社管内の山陰筋では伝統的な国鉄色が踏襲されていて、
手許のテープにはこれらが客車と共に記録されている。
いま、あのときには当たり前過ぎた光景が、いよいよ想い出に変わろうとしている。
(1) | 本文中の写真は、すべてが動画と同時に撮影されたものではありません。 |
(2) |
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